久後 淳司 (くご じゅんじ)

兵庫県小野市議会議員(7年8ヵ月)

1974年4月13日 兵庫県小野市生まれ。

昭和61年 小野市立下東条小学校 卒業

平成2年 小野市立旭丘中学校 卒業

平成5年 兵庫県立小野高等学校 商業科卒業

平成5年 岡山商科大学 法経学部 法学科 入学

平成9年 岡山商科大学 法経学部 法学科 休学を経て中退

小学校時代、野球が好きで少年野球チームでプレーをしていた。

思い返すとお山の大将のような存在で、思ったことをそのまま言ってしまうタイプだったこともあり、人を傷つけたことも少なくなかったと思う。

中学校時代は野球部に所属した。

勉強に対しては全く努力が足らず、母親がとても心配していたことをよく覚えている。

高校に入ってからも野球部に所属したものの、上手ではなかったこともあり、退部を考えたこともあったが、何とか最後まで続けた事は、自分の中で今でも大切な財産になっている。

大学に入ってからも「野球」がやりたくて、故郷の小野市で友人と草野球チームを作り活動していた。

この頃、両親から仕送りをもらいながら、ただ何となく生活することに、漠然とした不安と焦りが入り交じり、鬱蒼とした日々を過ごすことが多くあった。

しだいに東京に出て「自分を試す」ということにチャレンジしてみたいという気持ちが増してきた。

自立を求めて休学し、唯一の取り得である「とにかくやってみる!」という実行へうつす力は、今も、そしてこれからも持ち続けていきたい。

「やりたい!!」と思うことに思い切りチャレンジしていた時期。

心を許せる友達と共に、何も恐れず、真っすぐ進んでいた。

芸人の道を夢見て進んだ経験は、何にも代えがたい財産と自信になっている

たくさんの困難にぶつかり失敗も多かったが、

「やってみないと分からない。やったからこそ言える。」

今も自分の基本的な考え方として大切にしている。

小学校時代、野球が好きで少年野球チームでプレーをしていた。

思い返すとお山の大将のような存在で、思ったことをそのまま言ってしまうタイプだったこともあり、人を傷つけたことも少なくなかったと思う。

中学校時代は野球部に所属した。

勉強に対しては全く努力が足らず、母親がとても心配していたことをよく覚えている。

高校に入ってからも野球部に所属したものの、上手ではなかったこともあり、退部を考えたこともあったが、何とか最後まで続けた事は、自分の中で今でも大切な財産になっている。

大学に入ってからも「野球」がやりたくて、故郷の小野市で友人と草野球チームを作り活動していた。

この頃、両親から仕送りをもらいながら、ただ何となく生活することに、漠然とした不安と焦りが入り交じり、鬱蒼とした日々を過ごすことが多くあった。

しだいに東京に出て「自分を試す」ということにチャレンジしてみたいという気持ちが増してきた。

自立を求めて休学し、唯一の取り得である「とにかくやってみる!」という実行へうつす力は、今も、そしてこれからも持ち続けていきたい。

「お米」を扱う会社を起業し、たくさんのお客様と知り合う機会が多くなるにつれ、

仕事に「やりがい」と「おもしろさ」を強く感じるようになってきた。

そんな中、農家の直面する問題や、自分を含めた若い世代の少なさ、また親族で直面している高齢者問題などを実体験することで、しだいに行政に目を向けるようになっていく。

立候補するにあたり青年会議所で学んだことも大きかった。

たくさんの方々との出会いで、人とのつながりや、組織の大切さ、地域貢献について等たくさんのことを体験した。

卒業を機に、自分の周囲で直面する問題や、たくさんの方々から助言や支えを頂き、「どの世代の誰もが住みやすい小野市」を目指したいと決意した。

当選した際、お礼のあいさつをした後に、選挙をともに戦った妻と握手をしたいと言い、妻と初めて握手した時に、感謝の気持ちと何とかなったんだと実感したことを強烈に覚えている。

その後の議員活動は、後援会会報の通りですが、常に「3つの行動指針」を意識し活動しています。